珠洲でボランティアしてきました。

ボランティア概要

3月30日~4月1日の2泊3日の間、珠洲市在住のデザイナーのリクさんのお宅に滞在させて頂きながら、半壊した作業場の解体や被災者に配るお弁当作りをしました。 また、その日のボランティア活動終了後、珠洲市内を案内してもらい、被災状況を見て回ったり、現地の居酒屋で現地の人との交流等をしました。

水道が十分復旧していないエリアのため、自衛隊の入浴支援や、仮設トイレがいくつも設置されており、まだまだ不自由な生活を強いられている状況ではあるものの、その中でも楽しく生活している様子をうかがうことができ、現地の人のたくましさやつながりの大切さを強く感じました。

※本記事は、3月30日~4月1日のボランティアを通して、著者が体験したこと、感じたことをもとに作成しております。できる限り間違った情報は載せないよう心がけますが、正確な情報は行政の発信や、現地在住の方の発信を参照頂くようにお願いいたします。日々被災地の状況は変化しているということを念頭に置いて頂き、情報収集の1サンプルとして、お読み頂けると有難いです。

※4月6日に執筆しました。

ボランティアの動機

災害現場を見て、そこの課題をリアルに感じてきたいという気持ちがあったからです。 そもそも、ロボットエンジニアを志した1つのきっかけとして、小学生の時、災害探査ロボットを科学館で見て、感銘を受けたというのがありました。 人が入れないような狭い場所や危険な場所を代わりに探査して、人の命を救うことがでる、被災者だけでなく助ける側も安全ということに感動しました。 しかし、これまで災害現場にボランティアに行ったことは一度もなく、災害現場で活躍できるロボットの開発もできていませんでした。

その一方で、災害の度にニュースに注目していますが、ロボットが活躍したニュースがかなり少ない(ほぼない)ことに対して、ロボットエンジニアとしてもどかしいものを感じていました。 そんな中、能登地震の後すぐ、所属していたコミュニティのイベントで、被災した人(リクさん)にお会いしました。 実際に話を聞くうちに、この機会は逃してはいけないと思い、参加を決意しました。

珠洲市への行き方とその道中

公共交通機関

公共交通機関を使う場合、最後の珠洲市には1日往復1回(臨時ダイヤ)のバスに乗る必要があります。 このバスは、金沢市を出発して、のと里山空港を経由して、珠洲市まで行きます。

珠洲特急線 臨時ダイヤ時刻表

金沢駅は、北陸新幹線や夜行バスで行くことができます。 のと里山空港は、羽田空港から国内線があり、北陸新幹線より安い場合があります。 私は、夜行バスで金沢駅まで行きました。

特急バスは、始発駅は定刻通りに出発し、道路状況によりますが、私が乗ったときは、行き帰りともに定刻より早く到着しました。

バスでの道中

バスの方角としては、金沢から出発し、北上していくことになりますが、北の能登地震震源近づくほどに道に亀裂や段差が多くなりました。 穴水など町の近くになり、建物が増えると、崩れた建物や斜めになった電柱が目立つようになりました。

アスファルトが割れている様子

穴水の市街地に入ると、道中と比較して、さらに倒壊した建物が多かったです。

倒壊した鳥居
1階部分が傾き、2階が水平移動した建物

倒壊している建物は、印象として、古い建物が多く、特に外壁がトタン板製のものが多かったです。 一方、古そうなものでも倒壊していない建物もあり、倒壊するかしないかの条件の違いに関しては、興味深いものがありました。

珠洲市の現状

行政発表の情報ではなく、私が感じたものを書かせて頂きます。

町・土地の様子

津波被害があった場所を除いて、町や郊外の建物(住宅)の内、1割程が完全に倒壊しているように感じました。 また、倒壊していない建物にも、被災建築物応急危険度判定の調査結果を示す紙が貼られてました(全ての建物ではないですが、9割の建物には貼られていた印象です)。 緑の調査済の紙(建物を使用できる)が貼られたものは、判定された建物の内の1割程度で、残りの建物は、「要注意」または「危険」に分類されていました。 街中も、アスファルトの地割れや、マンホールが道の真ん中で隆起していたり、電信柱が斜めになり今にも倒れそうになっていたりしました。

https://www.pref.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/010/321/oukyukikendohannteikekka.jpg

津波被害があった場所は、ほとんど瓦礫の山みたいな状態で、救助隊が目印として書き残したのか、スプレーで建物に日付が刻まれていたりしました。 道は、通れるようになっていたものの、応急処置的に道をふさいでいた瓦礫を脇に避けたような状態の場所も多くありました。 高くなくとも津波の威力の凄まじさを物語っていました。

山の方では、土砂崩れの痕跡が至る所にあり、土砂の上にアスファルトを敷き、無理やり道として舗装している所もありました。

土砂崩れの跡。この写真は、土砂崩れの上を均し、鉄板を引いた道の上を走行しているときに撮影しました。

海岸では、地面が2m前後隆起した跡がありました。

地面が隆起した跡。元々海の中だった場所に立って、堤防の方を撮影しました。。
この写真を撮影したときは、ちょうど中潮の満潮のタイミングだったので、どれだけ地面が隆起したのかがよくわかりました。 辺りに転がっている岩には、元々海の中で生えていた藻・海藻が枯れて白く変色したものが、びっしりついていましたし、ウニやヒトデの死骸もありました。

生活の様子

珠洲市は、元々人口約1.2万人の地域でしたが、震災の影響で市内にとどまっている人は、3000人ぐらいになっているというお話を伺いました。 車社会の町であるため、歩いている人は平常時から少ないと思いますが、滞在していた3日間の印象は、とても静かで、寂しい場所でした。 滞在期間では、すでに電気は復旧していたものの、水道は復旧していませんでした。 そのため、珠洲市内には、数十人規模(公民館のような場所)から数百人規模(小中学校)までの避難所が10か所以上ありそうでした(正確な数まで、伺いませんでした)。その一方、自己判断で自宅で生活している人も多いようでした(プライバシーの問題はやはり大きいようです)。

自宅で生活している方々の内、一部のお宅では、井戸水を汲んでいる所もあり、かつプロパンガスを使っていることから、普通の生活に近い状態に戻っているご家庭もありました。 一方で、水が来ていないお宅では、水を汲んで来たり、自衛隊の運営しているお風呂に入ったりする生活をしていました。 水道がないと、調理をして食事をするのは、難しいため、炊き出しやお弁当の配給は、重要だと改めて感じました(コンビニは空いている場所はありますが、平日時短営業だったので、土日の食事が間に合わなかったりします)。

このような中、早くから営業再開している飲食店もあり、市民の生活の癒し・楽しみになっていました。 とはいえ、避難所から離れていたり、車が被災して使えなかったりする人もいるので、被災生活で癒しや楽しみの幅が制限されている人もいるんだろうなと思うと、様々な支援の形があると思いました。

ボランティア内容

本ボランティアは、行政主導のものではなく、個人の活動として声を掛け合い、リクさんのお宅に滞在させて頂きながら、珠洲市でボランティア活動を行っていました。

初日:半壊した作業場の解体作業

古民家レストラン 典座 -に併設された、珠洲焼の工房の半壊した木製の建屋部分を解体する作業のお手伝いをしました。 典座さんは、山の方にある古民家で、母屋は一部傾き雨漏りがある状態ですが、電気・井戸水・プロパンガスで生活には困らない様子でした。 一方、離れにある珠洲焼の工房は、地震の影響で、鉄骨造りの範囲は大丈夫なものの、木製の部分は、柱が折れるなど半壊の状態でした。

ボランティアに伺った時には、木製の建屋の半分はすでに跡形もなく撤去されていましたが、残り半分も解体するということで、そのお手伝いをさせて頂きました。 典座さんの所に以前からいらしていたボランティアの方1名含め、計5名で作業を行い、瓦礫の撤去(瓦と木材、金属ごみの仕分け、軽トラックへの積載)に1時間半、木製の骨組みを解体するのに2時間かかりました。 建屋規模としては、3m×4mの面積で、作業で積み込んだ廃材は軽トラック2~3台分になりました。

この程度の小規模の片付けでも仕分けや解体に5名で3時間以上の時間がかかることを考えると、町で倒壊している建物を撤去するのにどれだけの時間がかかるのか、途方に暮れそうです。

地面の瓦礫をトラックで撤去し、建物の木の骨組みを解体していきます。

有難いことに、お昼ご飯とおやつをご提供頂きました。 お昼も大変おいしかったですし、素敵なお庭で休憩させて頂いて癒されました。 また、その際、能登珠洲の現状を少し教えて頂くことが出来ました。

典座さん、大変お世話になりました。 現在もレストランとして営業されているようなので、ぜひご興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか

ランチのカニ丼とお味噌汁
おやつを頂いたお庭

2日目、3日目:避難所に配るお弁当作り

調理担当の方(4~7名)は朝7時頃から作業開始して、約1300個分のその日のお弁当のおかずの準備と翌日分の仕込みを行います。 途中休憩入れつつ14時半頃に作業終了、7時間半~8時間殆ど立ちっぱなしでした。 お弁当を詰める担当の方(7~12名)は朝8時半頃から作業開始して、約1300個のお弁当を詰め、配達先ごとに仕分けを行います。 こちらも、お昼休憩を1度挟んで、14時半頃に作業終了、同じく立ちっぱなしでした。 ゆっくり作業している感覚はなく、結構せわしなく作業し続けている状態で、7時間以上の作業でやっと1300食完成すると考えると、すごい作業量だなと思います。 また、10か所以上ある配達先も、調理担当の方が手分けして車で配達していました。 2日間でしたが、本当に疲れました。

珠洲在住のこの活動に参加されている方々は、タイムカード等を使って、作業時間の管理を行っているものの、ほぼ毎日この作業を行っているそうで、5月中旬までは続けることが決まっているそうです。 頭が上がりません… 現在は、身銭を切らなくても、この活動が出来ているそうですが、食材の調達や資金の調達に関して、詳しく聞かなかったので、割愛いたします。 水道が完全に復旧していなかったり、そもそも住宅が倒壊してしまっていたりと、自分たちの食事を用意できない環境にいる人にとって、水道が使える場所で作って持ってきてもらえるのは、有難いことなんだろうなと思いました。

このボランティアを通して、感じたこと思ったこと

災害時に、助け合えることは大切ですし、いいなと思いました。 住んでいる場所が、ベットタウンであることから、近隣住民との付き合いが希薄で、現環境で自分が被災者になったら、自分のこと、家族のことで精いっぱいになるだろうなと思いました。 ただ、奥能登の地域は、田舎であるということや、地元のお祭が活発であるということなどから、ご近所付き合いがあり、割と当たり前に助け合いができる人が多いのかなと思いました。

一方で、過疎地域であるということや、古い建物が多くあることから、被害に対して現地で復興活動する人手が足りていない現状をまじまじと認識しました。 住宅の倒壊や、インフラの寸断の影響で、人が多く町から避難して出て行ってしまったこともあると思いますが、町としてボランティア等の人手を受け入れる体制が作れなかったことも、人手の確保に手間取っている状況を作っていると感じました。 ホテルや旅館などの宿泊施設だけでなく、空き部屋を提供できる人を募って、そこに泊まってもらうことで、滞在場所を確保したりできるのではないかなと思いました(外部の人の妄想です)。 もちろん、それで完全に解決するとは思いませんが、加速はできるのではないかと思いました。

倒壊した建物が多くなったのは、古い建物が多く、耐震性として問題があった可能性もありますが、2023年のゴールデンウイークにも、能登半島地震があり、その時の蓄積ダメージが2024年初日の地震に耐えれない状態になり、倒壊した可能性もあったと考えられます。 過疎地域で、空き家が多く十分管理や調査が出来ていなかったということも、原因でしょう。 奥能登というアクセスの悪い地域で、あれほどの被害が出た後、復興のためにもどの様に瓦礫を撤去していくのか、これだけでも長期的に考えて、長期的に支援していく必要があると感じました。

被災地を訪れるとやはりネガティブな部分が目につきますが、現地の住民と交流するとその環境の中で、楽しく生活していることが分かりました。 生活は苦労しているし、平常時に戻りたいというのは当たり前ですが、不幸ではないし、可哀想に思ってほしくないと言っていたことが、印象的でした。

私の感じた良い支援方法は、

  • ボランティアに参加する
    • 瓦礫撤去や炊き出しなど
    • ストレス解消のための娯楽の提供
  • 寄付金
  • 情報を取り続け、関心を持ち続ける
  • 観光に訪れる

などです。 身の安全や宿泊先の状況によって、震災直後の観光予定を取りやめるのは、仕方がないと思います。 ただ、現状金沢や七尾のホテルは営業再開しており、観光客の受け入れもできるようになってます。 「被災地だから、行ってはいけない」ということは、ないと思います。 ぜひ、観光を楽しみ、かつ現地の人と交流して、災害への関心を深めてみてください。

支援方法の紹介

珠洲市で活躍しているリクさんが書いているNoteを共有させて頂きます。 是非、こちらの記事もご覧いただき、寄付をしていただけると有難いです。

ボランティアセンター。登録しておくことで、募集開始通知を受けることができます。 すぐに埋まってしまうので、通知を受けたら早めに応募してみてください。

東京主導のボランティアプログラムです。 現在は4月下旬から5月中旬まで、3回分の募集が行われています。 今後、4回目の募集がある予定だそうです。

他にも、様々な支援があると思いますので、調べてみてください。

最後に

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。 拙い文章で、読みにくかったと思いますが、この記事を通して能登震災の状況を知って、関心を寄せて頂き、ひとりでも行動して頂けると嬉しいです。 ボランティア関係の記事以外にも、色々書いていければと思いますので、他の記事も読んで頂ければ幸いです。

今後ともよろしくお願いします。